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ドクターKの独りごと24;マネーボール

ブラッドピット主演のマネーボールという映画を見た。大リーグの、とあるチームのゼネラルマネージャー(GM)となった主人公が破天荒なやり方で貧乏球団を常勝球団に変えてしまう話らしい。「あきらめるな、挑戦を」というキャッチフレーズにも魅かれた。アメリカンドリームの展開を期待して再生ボタンをおすこと133分、あっという間のエンドロールだった。

 

期待は全く裏切られた…いい意味でだ。内容が想定外だったのだ。チームは一気に強くなった。しかしそれは一人のヒーローや何かの奇跡によってではない。選手の評価基準をそれまでの評価と全く異なる方法に変更し、その基準に則ってチームを再編成したことによってなのだ。

 

ネタばれで恐縮だが例えば、ピッチャーは防御率ではなく、三振が取れてホームランを打たれない、四球を出さないことを基準に優劣を決めたのだそうだ。バッターは打率ではなく、出塁率を重視したそうだ。ファーボールで塁に出たっていいのだ。とにかくアウトにならないこと。これだけでもビックリな話だが、更に驚いたことに、この映画は架空の話ではなくて、今やプレーオフの常連であるアメリカメジャーリーグベースボールのアスレチックスの実話であったのだ。

 

エンドロールを見ながら思った。チームは誰もがやらなかった選手の評価基準に則って編成したから勝てたのだろうか?それだけではないだろう。将来的な目標に対して、どんなに叩かれてもブレずにそれを見失わないトップの精神。理論を知ってもらうために彼はロッカールームに出向き選手に声をかける「信じないかもしれないが、このチームは必ず優勝するのだ」ベンチ裏で1人1人に語る彼の声がチームを動かし始める。そこではじめてチームは常勝集団へと変わる。理論で人は動かない。トップの情熱によって人は動く。

 

ビジネスでも同じであろう。ビジョンを持つ。そのビジョンは「今」に当てはまっているだろうか?既知概念にとらわれてはいないだろうか?それを知るためには多くの部下と話さなければいけないだろう。それを具体的かつわかりやすい言葉で共有する。皆に理解してもらうためには部下のいるフィールドに降りて話をしなければいけないだろう。一人一人に役目を持たす。そのためには部下がどういう人間なのかを深く知らなくてはならないだろう。

 

ありがとう。偶然とはいえこの映画を見てほんとうに良かった。

ドクターKの独りごと23;「私、失敗しないので」

「私、失敗しないので」痛快な決めゼリフが有名な、女性外科医が主人公の医療ドラマがある。彼女は起こりうる全てのケースを予測して完璧な準備をする。それが失敗しない理由なのだそうだ。では偶発的な出来事に直面したときはどうなのか?そのときにはその人自身の適応能力が問われる。

 

とある講演会に参加した。本州からご高名の講演者が招聘された会だったのだが、飛行機が遅れて30分以上も到着が遅れるとのこと。さてどうする?ざわめく会場、不安気あらわなスポンサーの表情、情報収集にあくせくと動き回る講演会コーディネーター。しかしそういったものを全く意に介さず、その会の座長であるA医師は会場であるホテル側に指示を出した「ビンゴができるように用意して」。当選者には今後A医師が海外に出張したときの豪華な土産が景品としてもらえるという。5分後、会場はビンゴマシーンの音ときらびやかなネオン、軽快なBGM、そして観客の熱狂に包まれた。A医師の司会と進行で大いに盛り上がったビンゴ大会。30分遅れで会場に着いた講演者は扉を開けた瞬間、会場の場所を間違えたと思い引き返したとかしないとか…。

 

進化論で有名なチャールズ・ダ―ウインは、種の起源という著書のなかで「最も強い者が生き残るのではない、最も賢い者が残るのでもない、唯一生き残るのは変化できる者である」という言葉を残している。変化すること、変化できること、困難にぶつかってもそれに適応していくこと、乗り越えていく力、それこそが重要であるということをうかがい知れる名言である。この言葉とA医師の行動を一緒にするのは2人に失礼だろう。しかし、想定外の事象に対して適応していくA医師の言動は、そのまま脳外科医としての彼のスキルの高さに直結していることは容易に想像できる。

 

1948 年、WHO(世界保健機関)はその憲章前文のなかで、「健康」を「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」と定義した。この定義は今日まで多く引用されているが、加齢にともなう機能低下、生活習慣病に伴う慢性疾患、治癒が困難な難病などが医療の中心となっている現在、健康イコール完全に良好な状態とすると、ほとんどのひとは健康な状態ではなくなってしまう。そんな中、2011年にオランダのヒューバー先生らは、健康について「社会的、身体的、感情的な問題に直面した時に適応し、本人主導で管理する能力としての健康」と提唱した。これは、疾患や障害があってもそれに適応して、自己管理していく能力こそが健康であるという内容である。健康とは個人や社会で変えられる動的なものであり、病気に適応していく力こそが健康であるのだ。少なくとも本人にとって病気とは想定外のことであろう。本人が自らの力で「病気」に対して立ち向かえる、すなわち「健康」を獲得するために、様々な角度から患者を支援する、これこそリハビリの奥義ではなかろうか?

 

 

  *  *  *  *

 

「先生、すごい対応でしたね!」私の言葉に「なんもさ、それより今日は講演会に来てくれてどうもありがとう」と言って颯爽と会場を後にしたA医師の笑顔がかっこよすぎた。 旭川リハビリテーション病院副院長

りはぴょん14;七夕飾り2024

 

こんにちは りはぴょんです

今日は年に1回の七夕の日です

病棟の掲示板も夏に模様替えしています

 

 

あじさいに、

 

 

いろとりどりの 金魚たち

 

 

これ、全部

紙や布でできています

 

 

織姫と彦星もいます

 

 

帯がとっても綺麗!

 

キラキラした投網飾り

幸せがいっぱいかかりますように!

 

 

素敵♡な飾りつけ

どうもありがとう!

 

りはぴょん13;りはっぴーとお散歩してきました

 

こんにちは りはぴょんです

今日は天気がいいので リハッピーを誘って

病院周囲をお散歩しました

 

 

きれいにカットされた木と 

白い花 黄色い花

 

思わず 横になってみました

 

気持ちいいーっ!   

             うん、気持ちいい(*^-^*)

 

             

             空ってこんなに広いんだね

そうね

 

 

ねえ リハッピー リスを見たことある?        

                     ないよ

ここにリスのおうちがあるらしいの 

                    そなんだ!

今日は出てきてくれなかったね    

                     そだね…

 

リハビリの杜には

しまえながが飛んでくるらしいよ

               へえー  そなんだ!

患者さんが鳴き声を聞いたことがあるんだって!

 

        

           りはぴょん 木登りしようよ!

あんまり高いところにはいかないでね

                大丈夫だよー(‘ω’)ノ

 

リハッピー、たのしかったね!

             うん、そろそろ帰ろっか?

そうね

 

太陽さん

素敵な一日を ありがとう

 

 

ドクターKの独りごと22;原爆ドーム

「人生終わった…」

A君はそう吐き捨て、目を真っ赤にして壁を凝視し続けた。

「先生、おれ、このまま死ぬんですか?もしそうならなんもしなくていいですから。リハビリなんかやるだけ無駄なんっすよ」「生まれ変わったら、今度はもう少しましな人生送れるのかな?」

クモ膜下出血に倒れ、リハビリ目的で転院したA君。急性期病院から転院してくるなりいきなりそう吐露した。「俺の人生、最悪なんです。何やっても裏目に出て…運が悪いというか、なんかの力で悪くなるように仕組まれてるとしか思えない。だから先生、頑張ったって仕方がないんっすよ。やるだけ無駄なんっすよ」やるせない気持ちを延々と続けるA君。「無駄」「無理」「最悪」が彼の常套句だった。たしかに彼には家族もなく、正確には妻と子供がいたのだが今は絶縁状態で、頼れる親もなく、身元保証人の高齢の親戚は遠い地方に居て面会には来ない。無職だったので、職場の人間も来なければまともな友人もいない。どうしてこんな人生になってしまったんだろう?倒れる前までの彼の生活は酒とたばことネットが唯一の楽しみだったらしい。無精ひげとボサボサの髪型は病に倒れる前からである。リハビリを全くやる気のないA君は、日中でもカーテンを閉めたままベッドに横になり、リハビリの時間になっても起きあがろうともしない。

 

A君に知ってもらいたいことがある。

 

きみは自分に運がないというが、クモ膜下出血は退院までに30%の人は亡くなり、15%の人は寝たきりとなり、15%は車いす介助となる病気なのだ。そして自分の足だけで歩ける確率は…。

残念ながらすべての患者が元の生活に戻れるわけではない。急性期病院からリハビリ病院への転院は、脳卒中による障がいと向き合うために与えられた緩衝期間であるとさえ思うことがある。そのくらいこの時期は精神的に過酷なのだ。しかし障がいを受容し、身も心も現実を受け入れなければ次には進めない。だから、A君に知って欲しい。

この病院には主治医の許可のもと、朝の6時から朝食前までの90分、夕食後から消灯までの2時間、歩行練習目的でひたすら廊下を往復している患者がいる。廊下ですれ違っても、表情を変えず言葉も発せず、口をへの字にして視線をまっすぐ前に向けたまま、修行僧のように黙々と歩いている。夏でも冬でも、今日も昨日も、1年前も20年前も、私が入職したときからそういった患者は常にいるのだ。彼らは、彼女らは、自分の手足が元に戻らないことは知っている。元の生活に戻れないことも知っている。しかし、彼らはみな、何かを信じて、おそらくは厳しい現実への恐怖と対峙し困難に立ち向かうことを決意した自分を信じて、その決意を停めないように、そして自ら人生を停めないように、明日への希望を信じて歩かずにはいられないのだ。

 *  *  *  *

影絵作家、藤城清治の作品に「悲しくも美しい平和への遺産」と題した広島原爆ドームの作品がある。戦争で痛めつけられたもの。その中から湧き出してくる生きる喜び。生命の尊さ、美しさを表現したとのことだ。非情にも破壊された日常。しかし静かにたたずむ原爆ドームの姿に、藤城清治は強く輝く生命の光を感じる。厳しい現実を前にしても尚、作者は明日への希望を信じる姿を作品に表現している。1945年8月6日からそこの時計は止まっているとばかり思っていた。でもそれは違う。ドームは計り知れない悲しみを背負いながら今でもなお、我々に平和を、希望を、そして未来を世界に発信し続けている。

 

「先生、元気っすか?」診断書作成のために連絡してきた、電話の向こうのA君の声は明るかった。結局いじけたまま自宅に退院したA君は2年後の今、介護士になって施設で働いているという。足を引きずりながら働く彼は、施設の利用者たちからとてもかわいがわれているらしい。そして1度は別れた妻や娘とヨリを戻したというのだ。

 

彼はまだ、歩き続けている!

彼の声を聞きながら私は、いつの日だったか訪れた広島の、木漏れ日に光り輝く原爆ドームを思い出した。

 

2024年度新規入職の皆さまへ

新入職員の皆さん、ご入職おめでとうございます。

数ある職場のなかから当院をお選びいただきありがとうございます。

心から感謝申し上げます。

皆さんと一緒に働けることを、我々は心から嬉しく思っております。

当院のフィロソフィーである「患者さんがまん中の医療」を目指して

一緒に頑張りましょう!

皆さまが立派な社会人として成長していくことを期待すると同時に、

我々も更に成長していくよう努力します。

 

 

毎年同じことを言い続けていますが…

私からみなさんにお願いがあります。

みなさんには是非、積極的にチャレンジする心を

もって欲しく思います。

 

コロナ禍の3年で我々は、誰も経験したことのない

多くの困難や、厳しい試練を受けました。

辛く悲しい犠牲もありました。

去っていった仲間もいました。

 

そのなかで我々は、患者様のために、

様々な発想や工夫によって、

今日までなんとか乗り越えてきたつもりです。

毎日がトライアンドエラーの繰り返しでした。

失敗のことが多かったように思います。

それはポストコロナの今でもそうです。

 

成功したことのいくつかは、若い職員からの

一言がきっかけでした。

残念ながら、年をとると柔軟な考えができなくなるものです。

ですから皆さんにしかできない発想は、

私たちにはとても貴重なのです。

上司に意見を言うのはなかなか勇気がいるものです。

でも私たちは、あなたの意見を待っています。

私たちこそ、皆様が意見を言いやすいように、

努力していきます。

 

 

もう1つ、大事なこと…それは、

  挑戦して、失敗しても

  そこで終わらせることではなくて

  がんばって成功するまでやり遂げること

 

 

どんなに辛くても、現状から目をそらさずに、

目標が達成されるまでは、決して逃げない

 

 

私自身、毎日自分にそう言い聞かせています。

 

さあみなさん!

この困難を この時代を この病院で 

我々と一緒に 乗り越えていこうではありませんか!

 

   旭川リハビリテーション病院副院長 小山聡

 

  

 

ドクターKの独りごと21;名脇役

メジャー脱三振記録、ノーヒットノーラン…野茂英雄の活躍は今では伝説である。しかしそれは野茂の非凡な技術と才能だけで成立したわけでは決してない。

 

今から30年前の1995年6月、野茂は日本人初のメジャーリーグ初完封を成し遂げた。しかしこの試合、初めから順風満帆な試合展開ではなかった。初回、極度の緊張なのか、ストレートでストライクが入らない。ファーボールでいきなり満塁のピンチとなった。駆け足でマウンドに駆け寄るキャッチャーのピアッザ。彼は言った「フォークでいこう!」。三塁にランナーがいるときに、一般的にキャッチャーはフォークを要求しないものだ。球を後ろにこぼして1点入る可能性があるからだ。「大丈夫だ。すべて体でとめるから!」当時試合中に通訳者をはさむことはできなかった。しかし野茂はピアッザの言葉を理解したのだろう。要求通りフォークを連投した。野茂のフォークはバッターの誰もが打つことができない魔球だったのだが、それはキャッチャーにとっても同様であった。ホームベースの上で突然ストンと落ちるその球は、捕球するのも困難だったのだ。後ろにこぼせば1点取られる状況で、ピアッザは野茂のフォークを何度も体で止めたのだ!そしてその回は1点も取られることなく終わった。いくらプロテクターをつけているとはいえ、時速100㎞超の硬球を何度も体で受けるとは…。数か月前にメジャーにやってきたどこの馬の骨かもわからない日本人の硬球を、体を張って受け止めたピアッザ…。

彼の心意気で波に乗った野茂。その後はヒットもなければ四球もないパーフェクトピッチング!終わってみれば2安打、奪三振13のメジャー初完封。9回トータル130球のうち、実に31球も要した1回の絶対的ピンチを変えたのは他でもない、ピアッザである。日本人初のメジャーリーグ完封の陰にはそんな「脇役」がいた。そして野茂伝説はここからはじまる…

  •    *    *    *

病院は、一人のスーパーマンによって成り立っているわけでは、決してない。世間では「スーパードクター」とか「カリスマ経営者」とかがニュースになることもあるが、組織が大きく成長するためには、その構成員である職員1人1人全員がその分野でプロとしての意識をもつことこそ重要だと、私は考える。もし病院に「脇役」という言葉があるならば、「主役」は患者であろう。患者が輝けるように、安心して病気と対峙できるように、我々職員一同は「名脇役」となって職務を全うしたいものだ。

 

開設から病院を作り上げてきた1人の「脇役」が職務を全うして、本日病院を去る。

 

感謝の気持ちしかない。   

         旭川リハビリテーション病院副院長 

りばぴょん12;病院食も負けてない!

 

塩分制限、カロリー制限、カリウム制限に、

おかゆにきざみ…。

入院患者さんの食事って、

どうしてこんなに制限が必要なのかしら? 

それとも私たちの普段の食事が、

あまりにも無頓着なのかな…。

 

今日は、病院食のレポをしてみました(^o^)丿

 

 

当院を退院した患者さんから、

病院食について伺うと、

きまって皆さん「おいしかった!」

と答えます!

 

「え?そうなんですか??

お味、薄くなかったですか?」

 

おそるおそるそう聞くと、

みなさん決まってこう答えます

 

 

「おかずに酸っぱいのや甘いのが入ってて

味が薄いなんて思ったことはなかった」と。

色とりどりなのも食欲をそそります。

 

もう1つ、病院食の特徴があります。

 

それは、季節を感じること。七夕に節分、

クリスマスにお正月…。

 

 

1年365日、毎日同じメニューじゃ、

今が春なのか夏なのかわかりませんもんね!

 

素敵♡な病院食をつくってくれてる皆さん、

毎日どうもありがとう!

 

 

ドクターKの独りごと20;ゆうべのゴハンは忘れても、身体が時(とき)を覚えてる

そろそろハウスの雪かきやらんとな…2月になっていきなり除雪で忙しくなってきたAさん。米農家のAさんは、親から引き継いだ田んぼを70年以上も守ってきた。ご両親は荒れ地を開拓して水をひいて田んぼにしたらしい。夏と冬とで体重が10kgも変化するAさんを、私ははじめ、えらく心配したものだ。「大丈夫だあ。わしの体はわしが一番よく知っているさ」笑顔で答えるAさん。農家の仕事の大変さを理解できたのは、その後のAさんとの診療合間の会話による。稲作は、『八十八の手間がかかるから米という』と言われるほど、手間がかかる作業である。春になって米農家は「荒代かき」から1年がスタートすると思っていた私は、まさか苗代から作るなんて考えてもいなかった。2月にはハウスの雪かきをして、ビニールをかけ、苗代を作る作業にかかるのだ。「収穫前の金色の田んぼをみるのが好きなんですよ。風の盆に揺られる稲穂は本当に美しいですね」私の言葉をニヤニヤして聞きながら「わしは収穫あとの稲株とか稲ワラが溜まってる田んぼが好きだな」と一言。Aさん曰く、稲は収穫が終わるまで自然との闘いだという。特に9月、秋の日差しで稲穂が黄金色に輝くこの時期は、大型の台風が到来して、あっという間に稲をなぎ倒してしまう可能性があるらしい。自然に左右される彼らにとって、黄金色の田んぼを美しいと思っている場合ではないのだ。真っ黒く日焼けして眼だけがぎょろりと光るAさんの両手は、小さなからだの割には大きくてゴツゴツしていた。「先生の手は柔らかいなあ。ボールペンしかもったことがないんでないのかい?」学校から帰ってきたら毎日田んぼに出向いて両親の手伝いをしたというAさん。田植えのように、短期間に集中的に労働力が必要で家族労働だけで足りない場合には、あちこちの農家の手伝いもしたらしい。お互い様なのでお金ではなく労働には労働で返したそうだ。これを「手間返し」とか「結い(ゆい)」というらしい。日本人の力を合わせる文化、助け合う心が育まれたのは、米作りが暮らしの真ん中にあったからこそなのだろう。

 

その昔、お米はお米屋さんから米俵にいれて購入していた。米俵からコメびつにうつすのに、家の前で米俵をひっくりかえすと、その中に必ず瀬戸物の茶碗やお皿が入っていたという話を聞いたことがある。瀬戸物はお米屋さんが入れたおまけとのこと。Aさんに米俵のおまけのことを聞いてみたら笑いながら知らないと言った。「自分らの食べるコメはコメ屋からは買わんよ。先生、コメのこと詳しいね。今度一緒に稲刈りしてみるかい?」最も今の時代、稲刈りは全て機械任せで人がやる作業はほとんどないとのこと。からさおをくるくる回すのは見たことがないそうだ。Aさんに怒鳴られながら農作業か…それも悪くない。

旭川リハビリテーション病院副院長

新棟ができました ラスト

 

こんにちわ

リハッピーです!

 

今日は新棟の食堂を紹介します。

ところで新棟は、『リハネックス』

という名称に決まったよ!

新棟入口の壁にも名称が書かれているよ。

 

 

リハネックスには、『花葉食堂』という、職員食堂が

あります。

 

 

職員食堂専属の料理人2人が、以前に開いていた

お店の頭文字からネーミングしたらしいよ。

さっすが料理人! どれもこれも

 

お美味っしい―!!

 

 

職員なら誰でも食べれるらしいよ!

でも僕はまだ子供だからダメなんだって。

 

 

早く大人になりたいな…

美味しいお昼ごはん、毎日どうもありがとう!!

 

今回の探検で新棟の紹介はひとまず終了です。

でも探検はまだまだ続くよ!

 

Misty ; 感謝を込めて

2023年11月に ベトナムからやってきた助手さんが 国に帰ります。

Các trợ lý đến từ Việt Nam sẽ về nước vào tháng 11 năm 2023.

かたことの日本語なのですが 患者さんからはとても慕われていて、

mặc dù tiếng Nhật hạn chế của cô ấy Được bệnh nhân đánh giá cao

マスクをしても 妨げられることのない そのやさしさや その笑顔。 

Tôi không thể che giấu lòng tốt của bạn và mỉm cười với chiếc mặt nạ

介護でたいせつなのは 言葉ではないことを、 

Lời nói không quan trọng trong chăm sóc điều dưỡng

我々はあなたから学びました。

chúng tôi đã học được từ bạn

これからもがんばってください。

Hãy tiếp tục cố gắng hết sức mình nhé.

 

感謝を込めて。

với lòng biết ơn.

 

 

strings K in Asahikawa Rehabilitation Hospital

Asahikawa, Hokkaido, Japan

 

新棟ができました その3

 

こんにちわ

リハッピーです!

 

今日は新棟の1階に来てみました。

1階のほとんどのスペースはロッカールームになって

いるらしいよ  すっごく広そうだな!

 

 

早速なかに入ってみよう!

 

 

 

ン!!

「リハッピー!ここはダメ―――ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いててて💦

りはぴょんひどいなあ…

 

更衣室の探検はやめて、建物の左奥にいってみよう!

 

 

ここにはいくつかの休憩スペースと、

小会議室があって、

 

 

数人での打ち合わせができるようになっているよ!

 

個室には1人用のデスクと椅子があって、

1人ずつ自由に使えるようになっているよ!

 

じゃ、ぼくもちょっと休憩してみるね

 

 

あ、カメラマンさん、ドアをちゃんと閉めてね!

それじゃ、また!

 

To be continued

 

 

 

 

 

新棟ができました その2

 

病院とつながってる、これはきっと渡り廊下だね?

まずはここから行ってみよう!

 

 

本館2階と3階はこの廊下で新棟と繋がっています。

 

 

早速新棟に行ってみよう!

 

 

ドアを開けると…おおっ!

 

 

新棟2階は職員食堂になっているんだね!

みんな、1方向を向いて静かに休憩しているね(^_^;)

まだ感染が流行っているから、気をつけないとね!

広々と快適で…

「すごいや!」

 

他の階はどうなっているんだろう?

早速探検してみないとね!

 

To be continued

新棟ができました その1

 

こんにちは!リハッピーです!

 

病院とゲストハウスの間の駐車場

冬のある朝、作業員がいっぱい来て

何かの工事をしています

 

 

大きなクレーン車もやって来て

おや? なんか作ってるぞ!

 

 

わお!

春には建物でゲストハウスが見えなくなっちゃった!

 

 

おおっ

黒い囲いが取り払われ、

この夏、遂に完成!

 

 

この建物は一体何だろう?、でもとにかくなんだか

 

「すごいや!」

 

早速探検してみないとね!

 

To be continued

 

イパネマの娘

マスクをはずして思いっきり深呼吸するのは何年ぶりでしょうか?

 

岩に砕ける波の音。

水平線のもこもこ雲。

お祭りの喧噪。

一面の花の絨毯。

 

2023年、北海道の夏。

 

ボサノバの代名詞、イパネマの娘を演奏しました。

演奏はすべてリモート動画です。1人ずつスマホで撮影した動画ををPCで編集して作成しています。

 

実施日:2023年8月

企画 :医療法人社団 shindo 旭川リハビリテーション病院

演奏 :Strings K

編集 :Strings K

 

駐車場のラインが新しくなりました!

 

暑い毎日が続いています。

みなさんお元気ですか?

 

 

病院の窓から駐車場をみると、

たくさんのおじさんたちがあくせく

動き回っています。

 

 

 

 

何をやっているんだろう????

 

 

 

 

 

一夜明け、その答えがわかりました

 

 

 

 

駐車場のラインが新しくなりました!

きれいに引かれた真っ白なライン

 

「素敵です♡」

 

 

明日からは、運転苦手なリハぴょんも、

まっすぐ駐車します!!

がんばります!!!

 

 

 

 

い中でのライン引き、

どうもありがとう!

 

 

2023年新入職員の皆さまへ close to you♪

2023年4月、旭川リハビリテーション病院にご入職された皆様、おめでとうございます。数ある病院のなかから当院を選んでいただきありがとうございます!新入職の皆様と一緒に働くことができてとても嬉しいです!そんな気持ちをカーペンターズのclose to you (遥かなる影)に載せてみました。 演奏はすべてリモート動画です。1人ずつスマホで撮影した動画ををPCで編集して作成しています。

実施日:2023年5月

企画 :医療法人社団 shindo 旭川リハビリテーション病院

演奏 :Strings K

編集 :Strings K

新型コロナが5類になりました

 

新型コロナが5類になりました。

 

長い間、

感染予防のご配慮

ありがとうございました。

 

でも、

 

ウイルスが弱くなったわけではありません

ウイルスがいなくなったわけではありません

 

 

 

患者様を守るため

今日も私たちは感染拡大防止に努めます

 

 

 

*当院では2022年5月から紫外線の中でも殺菌力が

 高い「UVーC」を照射する紫外線殺菌システム

 UVDI-360 を導入しています。

 

2023年度新規入職者の皆さんへ

新入職員のみなさん 入職おめでとうございます。

数ある病院のなかから当院を選んでいただき

心から感謝いたします。

 

私から新入職員のみなさんにお願いがあります。

みなさんには是非、積極的にチャレンジする心を

もって欲しく思います。

 

コロナ禍の3年で我々は、誰も経験したことのない

多くの困難や、厳しい試練を受けました。

辛く悲しい犠牲もありました。

去っていった仲間もいました。

 

そのなかで我々は、患者様のために、

様々な発想や工夫によって、

今日までなんとか乗り越えてきたつもりです。

毎日がトライアンドエラーの繰り返しでした。

それは今でもそうです。

チャレンジしたことのいくつかは若い職員からの

一言がきっかけでした。

年をとると柔軟な考えができなくなるものです。

ですから皆さんにしかできない発想は、

私たちにはとても貴重なのです。

 

大事なことは…

  挑戦して、失敗しても

  そこで終わらせることではなくて

  がんばって成功するまでやり遂げること

 

私はそう思っています。

 

さあみなさん!

この困難を この時代を この病院で 

我々と一緒に 乗り越えていこうではありませんか!

 

   旭川リハビリテーション病院副院長 小山聡

ドクターKの独りごと19;記憶できることは限られている

心不全と認知症のため、自宅にも施設にも帰れないお婆さんが入院している。食べられなくなり、脱水になると逆に心臓が楽になって元気を取り戻す…特別な医療をしなくても、あれこれ1年以上低め安定で入院している。

 

認知症のため日常生活における会話はほとんど通じない。短期記憶がまったくできないのだ。新型コロナのさなか、家族と面会できない日々がもう何年も続いている。しかしたまにタブレットを使ったリモート面会を行うと、彼女は突然別の人間になる。キリっとした顔立ちとなり、厳しい口調で「いい母であるように努力しなさい」と娘たちに説教しだすのだ。そうかとおもうと孫やひ孫たちにはとびっきりの笑顔で画面を撫でながら「この前会ったときからずいぶんと大きくなったわね。おばあちゃん、頭が悪いからあなたの名前を忘れてしまったの。今度会う時にきちんと呼べるようにもう一度名前を教えて頂戴!」と話すのだ。愛情や厳しさ、そして包容力の大きさ…その姿はまさに娘や息子、孫やひ孫で形成される家系図ピラミッドの頂点に立つ重鎮の姿である。入院中の彼女は食事をとっては寝ての繰り返しではあるが、たまに一人二役で誰かとひっきりなしに会話をしていることがある。相手は長男であったり長女であったり夫であったり…数分の間隔で(話し)相手は頻繁に変わるのだが、驚くことに話の内容は相手のトラブルに対するアドバイスであったり失敗に寄り添う内容であったり、喜びを分かち合う内容であったり…しかも会話の全ては筋が通っているのだ!それが真実かどうかはともかくとして、認知症によって100年近く生きてきた記憶のほとんどが消失してしまっている今でもなお、夫や子供たちのために強く思ってきた記憶は忘れないのであろう。過去と現在(いま)を行ったり来たりしながら、彼女は生き生きと、実に幸せそうなのだ。

 *   *   *

長生きすると、あるいは認知症になると

思い出せることは限られてきて、

心がときめいたり

感動したり

一生懸命にやったこと

それだけなのかもしれない。

生きている時間、残念ながら永遠ではない。

我々は、その限られた毎日を、「忙しい」の繰り返しだけで無駄に過ごしてはいないだろうか?

旭川リハビリテーション病院副院長