1. ホーム
  2. ブログ

ブログ

ドクターKの独りごと5.「毎日」岩瀬仁紀

かつて中日ドラゴンズに岩瀬仁紀という投手がいた。投げても数回しかもたないだろう…入団を反対されていたにもかかわらず当時の中日監督・星野は「俺は先発で使うとはいっていないぞ!」と、岩瀬の獲得を押したエピソードがある。実際、1999年の入団当初から続投(リリーフ)としてマウンドに立ち、2018年に引退するまでの19年間、先発で投げたのはたった1度だけである。しかし登板は1002回、407セーブ。これは驚異的な数値で、言うまでもなく日本プロ野球最高記録である。

*   *    *    *

これの何が凄いのか?それには以下のことを理解する必要がある。まずリリーフの意味だが、先発投手が何らかの理由で降板したあとに続投するピッチャーのことを指す。試合のどの場面で投げるかによって「中継ぎ」「抑え」「セットアッパー」など様々な名称がある。リリーフ投手はいつ登板が要求されるかわからない。結果的に登板しなかった試合でも、いつでも投げれるようにブルペンで肩の準備をしておく必要がある。あるかないかわからない出番のために「毎日」である。前日に飲みすぎて二日酔いで投げられないようでは困るのだ。更にリリーフに立つときは「1点も許されない」という緊張を強いられるシーンがほとんどである。一般的に打者を外野フライに仕留めれば投手は投げ勝ったといえよう。しかしリリーフは違う。外野フライでもランナーが三塁にいればタッチアップで1点取られるのだ。だからリリーフは打者を三振に仕留める力量が要求される。技術的にも精神的にもかなりの重圧を「毎日」受けているのだ。そうした「毎日」を岩瀬は19年間続けたのである。岩瀬の凄さを痛切に感じた試合がある。2007年、日本一の球団を決める日本ハム対中日ドラゴンズの日本シリーズ第5戦である。

 

第4戦まで中日は北海道日本ハムに3勝1敗とし、日本一に王手をかけていた。この試合絶対に負けられない日本ハムは中4日のダルビッシュをマウンドにあげ、背水の陣で戦いに挑んだ。試合は1対0の投手戦となった。エース・ダルビッシュは7イニングで11奪三振の驚異的なピッチング内容。ちなみに日本シリーズで1試合の最多奪三振は13(ダルビッシュ侑と元ダイエー・工藤公康)である。しかし…日本ハム打線は中日の先発、山井に完全に抑えられ、8回までファーボールも含めて1人の走者も出せない、いわゆる完全試合となっていた。日本シリーズで完全試合を成し遂げた投手はいない。そんな9回、なんと中日の落合監督は山井を岩瀬に代えたのだ!ざわめく場内、名古屋球場からは完全試合を求める山井コール。交代に戸惑う実況と解説。なぜ変えるのだ?山井投手の気持ち。落合監督の判断。そして…なにより岩瀬は、いったいどんな気持ちでマウンドにあがったのだろう…。我々道産子日ハム応援団にしてみれば、このまま山井投手なら最終回も無理だろう…リリーフは中日の守護神・岩瀬。とはいえ彼とて人間、このピッチャー交代は日本ハムにはチャンスかも?この試合に勝って、第6戦目からの札幌ドームに戻ってきてほしい!しかし我々の様々な憶測や思いをよそに、淡々とマウンドに上がった岩瀬は日ハム打線をあっさりと13球3人で仕留め、中日ドラゴンズを53年ぶりの日本一に導いた。後日知ったことだが、山井投手は5回あたりから指の豆が破れて皮1枚剥がれ、激痛のなか投げていたようである。血だらけになった指先をみて8回裏、落合監督が山井投手にどうする?と聞いたところ、山井は何の迷いもなく「岩瀬さんでお願いします」と答えたそうである。個人のタイトルよりもチームの勝利を最優先させた山井。チームの勝利を岩瀬に託す絆。さぞかし苦渋であったであろう落合監督の決断力。そしてなにより岩瀬の肝の据わった続投。野球のドラマはカメラの回っていないこんなところでも繰り広げられているのだ。

*   *    *    *

脳卒中はある日突然やってくる。動かなくなった腕、体重を支えられなくなった脚。でもまたいつかその腕で食事ができることを、またいつかその脚で歩けることを、私はあなたと共に信じたい。私は知っている。あなたが人目を忍んで「毎日」薄暗い夜明けにリハビリ歩行訓練していることを。その「毎日」が、いつか奇跡を生むことを。そして「奇跡」は努力の「軌跡」であることを。

 

余談ではあるが、岩瀬投手はお酒が飲めないらしい。毎日コンデイションを維持するには好都合かもしれないが、どうやって精神的ストレスを解消するのだろうか?そう思う私は、残念ながらまったくの凡人である。(敬称略)  

                            旭川リハビリテーション病院副院長

ドクターKの独りごと4.「レフトアローン」マル・ウオルドロン

マル・ウオルドロン。1957年から2年間、ジャズシンガーであるビリーホリデイの伴奏をしたことで有名なジャズピアニストだ。モールス信号のようにくり返す独特なメロデイ。控えめで哀愁漂うその旋律は多くの日本人の心を掴み、おそらく1970年代の日本ジャズ界隈で最も名の知れたピアニストの一人であろう。ビリ―ホリデイ作詞、マル・ウオルドロン作曲の「レフトアローン」は彼の代表作である。ビリーはこの曲を気に入り、ステージでもよく歌っていたそうだが、残念ながら彼女が歌った音源は存在しない。

 

ビリ―が病で逝った1960年、彼女を偲んで録音した哀悼曲「レフトアローン」。彼女以外にこの歌を歌える人はいないと思ったのだろう…マルは肉声の代わりにジャッキーマクリーン演奏のアルトサックスに歌わせたのだが、それがまたよかった。むせび泣くようなサックスの音色。マルは絶妙な間合いでサックスに寄り添うようにピアノを奏でている。出しゃばらず、一歩引いた立ち位置でジャッキーの魅力を引き出すことに徹している。そしてピアノアドリブでは…彼のピアノが泣いているのだ!こみ上げる嗚咽を抑え、冷静を保とうと必死にこらえているように聞こえるのはどうしてだろう?この歌詞は恋愛の歌だ。でも私にはそうは聞こえない。本当の歌詞はI am left alone:「(あなたが去って)私は一人ぼっち」なのだが、敢えてサックスが歌うことによってタイトルだけが前面に立ち、(She) left alone:「彼女は独りで去った」に聞こえてしまうのだ。

 

あのひとは1人で逝ってしまった

私はあなたにまだ何にも伝えていないのに

「ありがとう」の一言さえも…   (注:筆者脚色)

 

*   *    *    

リハビリの病院とはいえ、当院で天寿を全うする患者さんも多い。薄れていく意識のなかで患者は我々に何かを伝えようとすることがある。それは必ずしも苦しいとか辛いだけではない。患者の表情が柔らかく、目が澄んでいるからだ。明鏡止水の心境とはこういうことなのか?我々はそうした状況で、患者の視線から目をそらさずに、患者の心をしっかりと受け止めているだろうか?患者の握った手を振り放そうとしていないだろうか?「明日伝えよう…」では間に合わないことも往々にしてあるのだ。

*   *    *

いろいろ調べると、日本以外でこの曲はあまり有名ではないらしい。ビリーを失った悲しみからマルを救ったのは「レフトアローン」に共感し、寄り添い慈しんだ我々日本人なのかもしれない。

                          旭川リハビリテーション病院副院長