去年はベートーベン生誕250年とのことで大いに盛り上がった.新型コロナがなかったら年末は街中第9のメロデイーで埋もれていたかもしれない.ベートーベン没後の音楽界は、彼が築きあげたものをそのまま引き継ごうとする派閥(ブラームス派)と,それに対抗して斬新的な音楽の可能性を切り開こうとする派閥(ワーグナー派)に分かれた.この後者の1人がブルックナーである.こう書くと彼はさぞかし革新的なイメージをもつが,実際の彼はウイーンでもなければパリでもない,オーストリアの片田舎で学校補助教員の傍ら教会のオルガン演奏で小遣いを稼ぐ人物であった.そして彼は聖書以外の本は読んだことがない人間だったらしい.何をもってワーグナー派と言われていたのかはともかくとして,彼はとても遅咲きの作曲家であった.作曲家としてそれなりに食べれるようになったのは55歳を過ぎてからである.そもそもスタートが遅くて,30の半ばで作曲の勉強を始め,交響曲をはじめて発表したのはなんと39歳である!実際にはその前に1曲作っているが自信がなくて生前には公表されず,現在我々はそれを交響曲第0番として聞くことができる.彼の名が有名になったのは交響曲4番あたりからでなんとそのときは50歳を越えていた!そして7番8番と秀作を作り上げ,9番は最高傑作か!といった矢先にそれは未完成のまま命が果ててしまうのだ.彼の曲は完成してからも納得がいくまで何度も作り直し,同じ作品に複数の異なる版・稿が存在する.彼自身が変更したものもあれば,「ハース」や「ノヴァーク」といった弟子が手を加えたバージョンもあり,しかもそれぞれが全然違っていて,いったいどうなってるんだ?と思ってしまう.それなのにどうしてこんなにもブルックナーの曲に惹かれてしまうのだろうか?これはもう嗜好性の問題といっていいのかも知れないが,例えていうならば,美術館に行って絵画を鑑賞するとしよう.1枚目から見る.これ好きだな....2枚目をみる.うーん...3枚目をみる,これはいいな...そして最後までみたら,再び入口まで戻りあらためて絵をじっくり見る.遠くから見たり近寄ってみたり...そうしているうちに,初めはあまり好きでないと思った絵も好きになってしい,さんたび入口までもどって鑑賞してしまう.繰り返し聞くたびに新しい発見がある...彼の音楽は美術館で絵画や風景を観ている感覚に近い気がする.それも大自然や宇宙そして神といった題材をテーマにした絵画である.
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いつも奥様と大喧嘩している患者がいた.毎日のように大声で怒鳴り散らしては奥様を泣かせていた.でも彼女は次の日もまた次の日もお見舞いに来て,そして怒鳴られていた.「毎日来なくてもいいんですよ」との声かけに彼女は静かに微笑んでいるだけだった.来なければいいのに....そう思っていたら奥様は骨折をしてお見舞いに来れなくなった.そんな矢先,なんと患者は急変してあっという間に息を引き取ったのだ.入院先から車いすで駆け付けた奥様は,怒鳴り散らしていた患者のあの声と同じくらいの大きな声で,いつまでも泣いていた.
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ブルックナーの葬儀のときに,教会の周囲をウロチョロしている人がいた.彼の生涯のライバルと言われ,喧嘩ばかりしていたブラームスだった.「(教会のなかに)入ったらいいでしょう?」と言われた彼はとってつけたような言い訳をしてその場を立ち去った.そして教会の近くの木陰で嗚咽をこらえながら泣いていたそうだ.そしてその半年後,ブルックナーの後を追うようにブラームスも亡くなった.けなし合っていた2人とだったらしいが,何だかんだお互い支え合っていた関係だったのだろう....この2人,天国でも相変わらずけんかしているのだろうか?
旭川リハビリテーション病院副院長