「私、失敗しないので」痛快な決めゼリフが有名な、女性外科医が主人公の医療ドラマがある。彼女は起こりうる全てのケースを予測して完璧な準備をする。それが失敗しない理由なのだそうだ。では偶発的な出来事に直面したときはどうなのか?そのときにはその人自身の適応能力が問われる。
とある講演会に参加した。本州からご高名の講演者が招聘された会だったのだが、飛行機が遅れて30分以上も到着が遅れるとのこと。さてどうする?ざわめく会場、不安気あらわなスポンサーの表情、情報収集にあくせくと動き回る講演会コーディネーター。しかしそういったものを全く意に介さず、その会の座長であるA医師は会場であるホテル側に指示を出した「ビンゴができるように用意して」。当選者には今後A医師が海外に出張したときの豪華な土産が景品としてもらえるという。5分後、会場はビンゴマシーンの音ときらびやかなネオン、軽快なBGM、そして観客の熱狂に包まれた。A医師の司会と進行で大いに盛り上がったビンゴ大会。30分遅れで会場に着いた講演者は扉を開けた瞬間、会場の場所を間違えたと思い引き返したとかしないとか…。
進化論で有名なチャールズ・ダ―ウインは、種の起源という著書のなかで「最も強い者が生き残るのではない、最も賢い者が残るのでもない、唯一生き残るのは変化できる者である」という言葉を残している。変化すること、変化できること、困難にぶつかってもそれに適応していくこと、乗り越えていく力、それこそが重要であるということをうかがい知れる名言である。この言葉とA医師の行動を一緒にするのは2人に失礼だろう。しかし、想定外の事象に対して適応していくA医師の言動は、そのまま脳外科医としての彼のスキルの高さに直結していることは容易に想像できる。
1948 年、WHO(世界保健機関)はその憲章前文のなかで、「健康」を「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」と定義した。この定義は今日まで多く引用されているが、加齢にともなう機能低下、生活習慣病に伴う慢性疾患、治癒が困難な難病などが医療の中心となっている現在、健康イコール完全に良好な状態とすると、ほとんどのひとは健康な状態ではなくなってしまう。そんな中、2011年にオランダのヒューバー先生らは、健康について「社会的、身体的、感情的な問題に直面した時に適応し、本人主導で管理する能力としての健康」と提唱した。これは、疾患や障害があってもそれに適応して、自己管理していく能力こそが健康であるという内容である。健康とは個人や社会で変えられる動的なものであり、病気に適応していく力こそが健康であるのだ。少なくとも本人にとって病気とは想定外のことであろう。本人が自らの力で「病気」に対して立ち向かえる、すなわち「健康」を獲得するために、様々な角度から患者を支援する、これこそリハビリの奥義ではなかろうか?
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「先生、すごい対応でしたね!」私の言葉に「なんもさ、それより今日は講演会に来てくれてどうもありがとう」と言って颯爽と会場を後にしたA医師の笑顔がかっこよすぎた。 旭川リハビリテーション病院副院長