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ドクターKの独りごと19;記憶できることは限られている

心不全と認知症のため、自宅にも施設にも帰れないお婆さんが入院している。食べられなくなり、脱水になると逆に心臓が楽になって元気を取り戻す…特別な医療をしなくても、あれこれ1年以上低め安定で入院している。

 

認知症のため日常生活における会話はほとんど通じない。短期記憶がまったくできないのだ。新型コロナのさなか、家族と面会できない日々がもう何年も続いている。しかしたまにタブレットを使ったリモート面会を行うと、彼女は突然別の人間になる。キリっとした顔立ちとなり、厳しい口調で「いい母であるように努力しなさい」と娘たちに説教しだすのだ。そうかとおもうと孫やひ孫たちにはとびっきりの笑顔で画面を撫でながら「この前会ったときからずいぶんと大きくなったわね。おばあちゃん、頭が悪いからあなたの名前を忘れてしまったの。今度会う時にきちんと呼べるようにもう一度名前を教えて頂戴!」と話すのだ。愛情や厳しさ、そして包容力の大きさ…その姿はまさに娘や息子、孫やひ孫で形成される家系図ピラミッドの頂点に立つ重鎮の姿である。入院中の彼女は食事をとっては寝ての繰り返しではあるが、たまに一人二役で誰かとひっきりなしに会話をしていることがある。相手は長男であったり長女であったり夫であったり…数分の間隔で(話し)相手は頻繁に変わるのだが、驚くことに話の内容は相手のトラブルに対するアドバイスであったり失敗に寄り添う内容であったり、喜びを分かち合う内容であったり…しかも会話の全ては筋が通っているのだ!それが真実かどうかはともかくとして、認知症によって100年近く生きてきた記憶のほとんどが消失してしまっている今でもなお、夫や子供たちのために強く思ってきた記憶は忘れないのであろう。過去と現在(いま)を行ったり来たりしながら、彼女は生き生きと、実に幸せそうなのだ。

 *   *   *

長生きすると、あるいは認知症になると

思い出せることは限られてきて、

心がときめいたり

感動したり

一生懸命にやったこと

それだけなのかもしれない。

生きている時間、残念ながら永遠ではない。

我々は、その限られた毎日を、「忙しい」の繰り返しだけで無駄に過ごしてはいないだろうか?

旭川リハビリテーション病院副院長