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ドクターKの独りごと20;ゆうべのゴハンは忘れても、身体が時(とき)を覚えてる

そろそろハウスの雪かきやらんとな…2月になっていきなり除雪で忙しくなってきたAさん。米農家のAさんは、親から引き継いだ田んぼを70年以上も守ってきた。ご両親は荒れ地を開拓して水をひいて田んぼにしたらしい。夏と冬とで体重が10kgも変化するAさんを、私ははじめ、えらく心配したものだ。「大丈夫だあ。わしの体はわしが一番よく知っているさ」笑顔で答えるAさん。農家の仕事の大変さを理解できたのは、その後のAさんとの診療合間の会話による。稲作は、『八十八の手間がかかるから米という』と言われるほど、手間がかかる作業である。春になって米農家は「荒代かき」から1年がスタートすると思っていた私は、まさか苗代から作るなんて考えてもいなかった。2月にはハウスの雪かきをして、ビニールをかけ、苗代を作る作業にかかるのだ。「収穫前の金色の田んぼをみるのが好きなんですよ。風の盆に揺られる稲穂は本当に美しいですね」私の言葉をニヤニヤして聞きながら「わしは収穫あとの稲株とか稲ワラが溜まってる田んぼが好きだな」と一言。Aさん曰く、稲は収穫が終わるまで自然との闘いだという。特に9月、秋の日差しで稲穂が黄金色に輝くこの時期は、大型の台風が到来して、あっという間に稲をなぎ倒してしまう可能性があるらしい。自然に左右される彼らにとって、黄金色の田んぼを美しいと思っている場合ではないのだ。真っ黒く日焼けして眼だけがぎょろりと光るAさんの両手は、小さなからだの割には大きくてゴツゴツしていた。「先生の手は柔らかいなあ。ボールペンしかもったことがないんでないのかい?」学校から帰ってきたら毎日田んぼに出向いて両親の手伝いをしたというAさん。田植えのように、短期間に集中的に労働力が必要で家族労働だけで足りない場合には、あちこちの農家の手伝いもしたらしい。お互い様なのでお金ではなく労働には労働で返したそうだ。これを「手間返し」とか「結い(ゆい)」というらしい。日本人の力を合わせる文化、助け合う心が育まれたのは、米作りが暮らしの真ん中にあったからこそなのだろう。

 

その昔、お米はお米屋さんから米俵にいれて購入していた。米俵からコメびつにうつすのに、家の前で米俵をひっくりかえすと、その中に必ず瀬戸物の茶碗やお皿が入っていたという話を聞いたことがある。瀬戸物はお米屋さんが入れたおまけとのこと。Aさんに米俵のおまけのことを聞いてみたら笑いながら知らないと言った。「自分らの食べるコメはコメ屋からは買わんよ。先生、コメのこと詳しいね。今度一緒に稲刈りしてみるかい?」最も今の時代、稲刈りは全て機械任せで人がやる作業はほとんどないとのこと。からさおをくるくる回すのは見たことがないそうだ。Aさんに怒鳴られながら農作業か…それも悪くない。

旭川リハビリテーション病院副院長