メジャー脱三振記録、ノーヒットノーラン…野茂英雄の活躍は今では伝説である。しかしそれは野茂の非凡な技術と才能だけで成立したわけでは決してない。
今から30年前の1995年6月、野茂は日本人初のメジャーリーグ初完封を成し遂げた。しかしこの試合、初めから順風満帆な試合展開ではなかった。初回、極度の緊張なのか、ストレートでストライクが入らない。ファーボールでいきなり満塁のピンチとなった。駆け足でマウンドに駆け寄るキャッチャーのピアッザ。彼は言った「フォークでいこう!」。三塁にランナーがいるときに、一般的にキャッチャーはフォークを要求しないものだ。球を後ろにこぼして1点入る可能性があるからだ。「大丈夫だ。すべて体でとめるから!」当時試合中に通訳者をはさむことはできなかった。しかし野茂はピアッザの言葉を理解したのだろう。要求通りフォークを連投した。野茂のフォークはバッターの誰もが打つことができない魔球だったのだが、それはキャッチャーにとっても同様であった。ホームベースの上で突然ストンと落ちるその球は、捕球するのも困難だったのだ。後ろにこぼせば1点取られる状況で、ピアッザは野茂のフォークを何度も体で止めたのだ!そしてその回は1点も取られることなく終わった。いくらプロテクターをつけているとはいえ、時速100㎞超の硬球を何度も体で受けるとは…。数か月前にメジャーにやってきたどこの馬の骨かもわからない日本人の硬球を、体を張って受け止めたピアッザ…。
彼の心意気で波に乗った野茂。その後はヒットもなければ四球もないパーフェクトピッチング!終わってみれば2安打、奪三振13のメジャー初完封。9回トータル130球のうち、実に31球も要した1回の絶対的ピンチを変えたのは他でもない、ピアッザである。日本人初のメジャーリーグ完封の陰にはそんな「脇役」がいた。そして野茂伝説はここからはじまる…
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病院は、一人のスーパーマンによって成り立っているわけでは、決してない。世間では「スーパードクター」とか「カリスマ経営者」とかがニュースになることもあるが、組織が大きく成長するためには、その構成員である職員1人1人全員がその分野でプロとしての意識をもつことこそ重要だと、私は考える。もし病院に「脇役」という言葉があるならば、「主役」は患者であろう。患者が輝けるように、安心して病気と対峙できるように、我々職員一同は「名脇役」となって職務を全うしたいものだ。
開設から病院を作り上げてきた1人の「脇役」が職務を全うして、本日病院を去る。
感謝の気持ちしかない。
旭川リハビリテーション病院副院長