1. ホーム
  2. ブログ
  3. ドクターKの独りごと9.「道」

ブログ

ドクターKの独りごと9.「道」

「私はこれからも生き続けなければならない。生き続ける者はいつでも忙しい。いつでも用事に追われ続けるのだ」小説家・津島佑子の作品に「火の山」がある。戦中戦後の親子3代にわたる生と死を描いた長編小説だ。時代に翻弄され、自らの「道」を生きたとはけっして思えない多くの登場人物たち(この作品には実に多くの人物が登場する)。しかしその誰もが不平不満を言わず、自らの生を必死に歩むのだ。冒頭は主人公の1人である笛子の言葉である。彼女は度重なる不運にあいながらもそう言い放って何度も立ち上がるのだ。生き抜くためには目の前の不運に溺れている場合ではない....と。

 

「神様は私たちに成功して欲しいとは思ってはいない。ただ挑戦することを望んでいる」

マザーテレサは言う。そしてなにかに打ち負かされた時、立ち上がる勇気を持つこと。自らの無知を知り、生きるための知恵と力を身に着けること。今、目の前にあることを受け入れ、前に進むことだけを考える。誰かに批判されることを恐れずに、失敗することを恐れずに、今すべきことを行う。「この世には失敗もなければ偶然もない。すべての出来事は私たちに与えられた恵み、何かを学ぶ機会なのだ」キューブラー=ロス医師の言葉である。

 

人生の「道」は、「今」という瞬間の連続でできているのではないか?切れ目のないレールの上を転がっているのではなく、その瞬間の連続の積み重ねで構成されているようにも思う。その瞬間(点)が連続して、振り返った時に「線」になって見えるだけなのだ(『嫌われる勇気』より)。

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る…

高村幸太郎の詩「道程」はそういうことを意味しているのだろう。

 

だから「今」を大事にして生きていこうと思う。「今」の積み重ねが人生の「線」となるのならば、今日が無駄な1日であるはずもない。

 

「人はみな、知らず知らずのうちに最良の人生を選択しながら生きている」放送作家・小山薫堂さんのお父様の言葉である。我々はきっと、数々の苦難の「点」を経て、振り返った時に最良の「線」=「道」すなわち「人生」を確認できるのだろう。最良の道を選択したというのは偶然にも良い道に転がったということではなく、選択すべき瞬間に「最善の努力」をした結果なのではないのだろうか。ならば迷うことなく「今」という「点」に全力を勤しんで生きてゆこうと思う。

「この道より我生かす道なし。この道を行く」

武者小路実篤のことばのように。

 

今年は未知のウイルスに翻弄された1年だった。そしてそれはしばらく続くのだろう。しかし意味のない「今」はない。「今」起きていることを受け入れ、「今」自分がすべきことを行いたい。地上の多くの人の努力によって未曾有の事態を必ず克服する道ができることを信じて。共に歩む仲間を信じて。

 

地上に初めから道があるのではない。歩く人が多くなると初めて道が出来る。(魯迅『故郷』より)

 

旭川リハビリテーション病院副院長